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《白雪公主》经典读后感有感

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《白雪公主》经典读后感有感
时间:2024-05-07 11:20:46   小编:

读后感:《白雪公主》是一部经典的童话故事,故事情节跌宕起伏,充满惊险与温情。主人公白雪公主勇敢善良,克服困难,最终得到幸福的结局。故事中的王子、皇后和七个小矮人形象鲜明,给人留下深刻印象。通过阅读这部作品,让我感受到了爱与勇气的力量。

《白雪公主》读后感(篇一)

如果说推理小说需要有谜题, 侦探, 和推理。 那么这本书是满足的。

只不过加了很多不可思议的设定,套用了童话故事外壳,在阅读的时候更加容易接受这样的故事安排。故事的主角应该是一个小矮人, 由第一视角展开描述。但是偶尔也插着第三人称的视角。整体的阅读体验一般,推理的过程大多由魔镜的阐述完成, 感觉像出了一个题目, 然后标准答案公布。其中几个案子是比较有意思的,但是可能是对魔镜的这个设定不太感冒,所以在最后公布谜底的时候并不令人欣喜。:) 可以一读,但确实一般。

《白雪公主》读后感(篇二)

少女侦探玛玛艾的真实身份是流落民间的白雪公主,她和矮人助手英格拉姆开了一家侦探事务所,日常就是通过询问无所不知的魔镜,简单粗暴的破案。与此同时,邪恶的王后得知白雪公主是阻挠自己继承王位的唯一障碍,决定联手邪恶侦探,利用另一面同样全知全能的魔镜,将公主除掉。一场利用魔镜的精彩攻防战马上展开……

这本书分为两个部分。前半部《襟音玛玛艾的事件簿》主要讲述了侦探玛玛艾和助手英格拉姆经办的三个案子。几个日常推理并不复杂,但成功的塑造了侦探和助手的形象:依赖魔镜,缺乏行动力和耐心的少女侦探,和有责任心且喜爱推理的小矮人助手。反派的形象也逐渐显露:急于登上王位的王后,心高气傲的邪恶侦探。两方人马各有一面全知全能的魔镜,通过向魔镜提问可以得到一切真相。争夺王位的大战一触即发,读者期待值被直接拉满。

后半部《请用苹果》,直接进入对决。反派们试图用毒苹果杀害白雪公主,却被前来拜访的另一个侦探误食。看着事情马上要败露的邪恶侦探立即决定亲自出马,与公主和矮人们正面交锋。

邪恶侦探把魔镜这一道具开发到了极致,简直玩出了花。白雪公主和王后只把魔镜当一个无所不知的答题器,邪恶侦探却将魔镜变成了真正意义上的武器!作为一个反派,邪恶侦探他有野心和魄力,智商极高,行动力强。真希望如此厉害的反派能胜利,但是最终还是因为倒霉而惜败。

矮人助手的形象很可爱,几厘米高的小人为了侦探操碎了心,上蹿下跳的。再加上作者的吐槽文风,整本书搞笑又温馨,值得一读。

《白雪公主》读后感(篇三)

这位作家相信除了个别原版大佬外大家应该都很陌生,毕竟有中译的作品现在好像只有这么一部。此书是名侦探三途川理系列的第二部(然而主角却是某女中学生侦探和她的小矮人助手“我”),于2014年获得了第十四届本格推理大奖,不过这玩意到底算不算本格推理很难说啊。 小说分为两部:第一部是三个推理短篇,为女主角利用魔镜(啊,这)破解案件的故事,前面两个均为日常推理,分别是某学校老师的手表被魔术社学生变没和某女高中生的自行车不翼而飞的简单案件,除了介绍人物和背景就没啥了。到了第三个案子则一下子提升到了杀人事件,某老夫妻收到了恐吓信,女主受邀前往调查,并遇到了另外两位男高中生侦探,正是三途川理和他相爱相杀的好基友(非比喻),女主利用魔镜意图指出凶手名字,然而魔镜显示的凶手是三途川......这个三途川,可谓是在下阅读过的作品中最坏的侦探之一,亲自谋杀某人并将罪责一概推到死者头上,继而获得功绩(非鞋底),恶劣程度甚至与麦卡托相比还要更胜一筹。此篇最后魔镜针对三途川的阴谋进行了大量的解读,然而女主和在下都没有看懂,从结局来看,好像也没有什么毛用的样子,也许是女主和在下都很废吧...... 第二部《请用苹果》一下子画风转变成了斗智剧。从异世界来的王后为了消灭王位竞争者(也就是女主),从而委托了三途川,得知女主利用魔镜破案而怒不可遏的三途川为了铲除竞争对手,利用王后的魔镜(没错,王后也有一面)展开了一场魔镜大战......魔镜还能这样玩?一般人拿到魔镜顶多也就是问问答案也就罢了,在某些人的手里真是把魔镜的功能发挥的淋漓尽致,可见人外有人,天外有天,不服不行啊。就是喜欢本格的朋友对这个模式是否能喜欢,这个个人感觉不太好说。 三途川理系列从2013-2017年一共出了六本,不懂日文的在下自然不知道这个系列是否已经完结了。从日版的封面来看,三途川这厮一脸邪气,和他的好基友绯山形成了鲜明对比,颇为有趣。不晓得有生之年这个系列有没有机会全部看完啊。

《白雪公主》读后感(篇四)

这位作家相信除了个别原版大佬外大家应该都很陌生,毕竟有中译的作品现在好像只有这么一部。此书是名侦探三途川理系列的第二部(然而主角却是某女中学生侦探和她的小矮人助手“我”),于2014年获得了第十四届本格推理大奖,不过这玩意到底算不算本格推理很难说啊。 小说分为两部:第一部是三个推理短篇,为女主角利用魔镜(啊,这)破解案件的故事,前面两个均为日常推理,分别是某学校老师的手表被魔术社学生变没和某女高中生的自行车不翼而飞的简单案件,除了介绍人物和背景就没啥了。到了第三个案子则一下子提升到了杀人事件,某老夫妻收到了恐吓信,女主受邀前往调查,并遇到了另外两位男高中生侦探,正是三途川理和他相爱相杀的好基友(非比喻),女主利用魔镜意图指出凶手名字,然而魔镜显示的凶手是三途川......这个三途川,可谓是在下阅读过的作品中最坏的侦探之一,亲自谋杀某人并将罪责一概推到死者头上,继而获得功绩(非鞋底),恶劣程度甚至与麦卡托相比还要更胜一筹。此篇最后魔镜针对三途川的阴谋进行了大量的解读,然而女主和在下都没有看懂,从结局来看,好像也没有什么毛用的样子,也许是女主和在下都很废吧...... 第二部《请用苹果》一下子画风转变成了斗智剧。从异世界来的王后为了消灭王位竞争者(也就是女主),从而委托了三途川,得知女主利用魔镜破案而怒不可遏的三途川为了铲除竞争对手,利用王后的魔镜(没错,王后也有一面)展开了一场魔镜大战......魔镜还能这样玩?一般人拿到魔镜顶多也就是问问答案也就罢了,在某些人的手里真是把魔镜的功能发挥的淋漓尽致,可见人外有人,天外有天,不服不行啊。就是喜欢本格的朋友对这个模式是否能喜欢,这个个人感觉不太好说。 三途川理系列从2013-2017年一共出了六本,不懂日文的在下自然不知道这个系列是否已经完结了。从日版的封面来看,三途川这厮一脸邪气,和他的好基友绯山形成了鲜明对比,颇为有趣。不晓得有生之年这个系列有没有机会全部看完啊。

《白雪公主》读后感(篇五)

好文,无泄底。

本格ミステリ大賞の小説部門を縦軸で見ると、第十四回はいささか異色な回に感じられるだろう。

この年は探偵小説研究会編著『2014本格ミステリ・ベスト10』(以下、「本ミス」と略す)の国内総評で「本命不在の年」と指摘されているように、「突出した作品がない年」であった。つまり、「どの作品が受賞しても違和感のない年」ともいえる。

タイトルを五十音順にして、候補作は以下に示す。

『教場』長岡弘樹

『水族館の殺人』青崎有吾

『スノーホワイト名探偵三途川理と少女の鏡は千の目を持つ』森川智喜

『ノックス・マシン』法月綸太郎『螺旋の底』深木章子

第八回以降、本格ミステリ大賞は有栖川有栖『女王国の城』、三津田信三『山やま魔んまの如き嗤わらうもの』、歌野晶午『密室殺人ゲーム2.0』、麻耶雄嵩『隻眼の少女』、米澤穂信『折れた竜骨』、法月綸太郎『キングを探せ』といった「本ミス」で一位に輝いた作品が必ず候補作に選ばれていた(『キングを探せ』は第十二回の候補作だが、十二月刊行だったため繰り上がり、その年の二位を獲得した大山誠一郎『密室蒐集家』は候補作に含まれている)。しかしながら、第十四回は選考経過によると議論の対象にはなってはいても、二〇一四年度一位の麻耶雄嵩『貴族探偵対女探偵』は含まれていない。当然ではあるが、候補作を決める際、単純にランキング結果をシフトさせているわけではないということが、改めて証明されている。

また、二〇〇七年から二〇一七年にかけて刊行された島田荘司監修『本格ミステリー・ワールド』では、「読者に勧める黄金の本格ミステリー」(以下「黄金本格」と略す)が有識者によって選出されていた。二〇一四年度に選ばれた八作品の中に『教場』と『スノーホワイト』はノミネートしていないことから、「優れた」本格ミステリは、選者によって様変わりすることも明示された(ただし、「黄金本格」と本格ミステリ大賞候補作は毎年必ずしも一致しているわけではなく、二〇一四年度だけが異例というわけではない)。本格ミステリ大賞候補作は、会員からのアンケート結果と五人の予選委員の推薦作をもとに議論が行われる。いわば、「本ミス」と「黄金本格」を組み合わせた選出方法だ。厳重かつ公平で、本格ミステリ作家クラブ独自の色も相当濃い。まさに、キング・オブ・本格となる。

それでは、「本命不在の年」の「優れた」本格ミステリの基準とはいったいどのようなものだったのだろうか。それは候補作を詳細に見ると明確に表れている。

『水族館の殺人』は、デビュー作『体育館の殺人』に続く二作目。ほかの場所なら若干違和感が生じるが、水族館なら目にしてもおかしくない道具が伏線となり、鮮やかな消去法推理が展開されてゆく。本格ミステリは論理が命といった意気込みも見事だ。

『螺旋の底』はフランスの片田舎で起こった連続猟奇殺人の謎を解く作品で、緊張感に満ちた心理戦が高く評価された。だが、メイントリックは、数年前に刊行された本格ミステリ作品と同じものだ。選評で会員の一人が触れていた「目次の仕掛け」まで一致している。このことから、類のないトリックを高評価する「トリック至上主義」はもはや消滅したと読み取れる。『教場』は警察学校を舞台とした連作短編集で、後に作者である長岡弘樹の代表シリーズとなった。『週刊文春ミステリーベスト102013』で一位、『このミステリーがすごい!2014年版』で二位を獲得した作品であり、一種の閉鎖された状況における登場人物たちの特異な心理が読みどころだが、「この作品は本格ミステリといえるのだろうか」という疑問の声もあがった。過去に横山秀夫『臨場』、東野圭吾『容疑者χの献身』、綾辻行人『Another』でも同様の指摘があったように、個々の本格ミステリの定義は第十四回の時点でも統一できないということが分かる。

定義問題が意味をなさなくなっていることは、『教場』よりもむしろ『ノックス・マシン』の選出で明らかになった。本作は短編集で、特に評価された表題作は、「ノックスの十戒」をテーマに博士論文を書いた学生が主人公となるSF作品である。あとがきで作者自身が「ミステリじゃない」と語っているにもかかわらず候補作に選ばれたということは、本格ミステリそのものがないと成り立たない、小説としての面白さが会員アンケートでも多数の支持を集めたのだろう。大賞を受賞した『スノーホワイト』は、「真実を映し出す鏡」にまつわる物語で、「白雪姫」をモチーフにした世界で起きる事件を描く。

受賞の喜びを、作者である森川智喜は以下のように語った。

「日常からズレた世界に旅行するためのチケット。そんな旅行チケットのような本になればいいな、と思いながら書きました。」(『ジャーロ』NO.51)

森川の本格ミステリ観が、最初の一文で表されている。謎、謎解きに至る論理的推理、解決という本格ミステリの構造は、「日常」ではなく、「旅行」なのだ。

「日常の謎」派が存在しても、本格ミステリは、謎と謎解きがもたらす幻想世界とも言い換えられる。現実の世界で仮に謎が発生しても、伏線を拾い集め、一本の筋道を立てて論理的に真相に結び付けることのできるケースはほぼない。必然的に謎が解けるという事象そのものがファンタジーといえるだろう。

この現実に近いか遠いかという距離感で、本格ミステリ作品の尺度を計ってみる。第十四回の候補作を例にとると、『教場』と『水族館の殺人』は現実寄り、『螺旋の底』は若干離れる。『スノーホワイト』と『ノックス・マシン』はさらにもっと遠ざかる。そこに謎と謎解きの占める割合を濃度で示す。そうすると、『水族館の殺人』がもっとも濃く、次いで『スノーホワイト』。『教場』と『螺旋の底』は半々くらいで、『ノックス・マシン』は透明だろう。したがって、第十四回は、現実から遠く、謎解き濃度の高い作品が多くの会員の支持を集めたという結果になる。奇々怪々な謎が登場し、難解なトリックを解き明かし、意外な真相に導かれることが「優れた」本格ミステリであると考える人も少なくはないだろう。だが、本格ミステリを創り上げる舞台の設定までも、「優れた」基準に含まれてきていることが分かる。

賞の歴史が長くなるにつれて、ベテランと新人の格差は広がっていく。年々、ハードルが高くなっていくように見えるが、まだシリーズものや立ち位置の確立していない若手のほうが、有利な基準になっている。現に、森川と青崎は二作目、深木は三作目が選出されている。実は、若手作品がこれだけ並ぶ年も珍しい。昨今では世代交代の声も耳に入るが、本格ミステリ業界が二世帯住宅化したという比喩表現のほうが現状に近いだろう。受賞者の森川は一九八四年生まれ。物心のついたあたりで新本格ムーブメントが起き、十代半ばで本格ミステリ作家クラブが発足した。京都大学推理小説研究会出身で、まさに本格ミステリの歴史とともに生きてきた世代だ(ちなみに、デビュー二作目が受賞するのは、史上初である)。

そんな森川を本格ミステリの世界に誘ったのは、コナン・ドイルの「シャーロック・ホームズシリーズ」とエドガー・アラン・ポー作品だった。本格ミステリに触れた出発点は、先人たちと大差がない。

それでは、『スノーホワイト』の概略を紹介していこう。

主人公は推理の苦手な私立探偵・襟音ママエ。中学校に通う十四歳の少女だ。語り手は助手である身長数インチの小人・グランビー・イングラムが務める。現実の世界にメルヘンの世界がこっそり忍び込んだ設定により、グランビーは人間たちに存在を隠していないとならない。ママエの探偵業には真実を映し出す鏡が欠かせないことも極秘事項だ。

第一部のタイトルは、「襟音ママエの事件簿」。物語は探偵事務所の日常から始まる。CASEⅠ「ハンケチと白雪姫」の依頼人は、二十代前半から三十代にも見える男性だった。少女探偵を怪しむ依頼人に、ママエは隠れて鏡を使い、彼が高校教師で奇術部の顧問だと告げる。すっかり信用した依頼人は、生徒の手品によって大事な時計がなくなってしまったから探してほしいと訴える。CASEⅡ「糸と白雪姫」では、ママエよりも少し年上の少女が事務所を訪れてくる。緋山探偵事務所や三途川探偵事務所といったライバル事務所と比較した結果、襟音探偵事務所を選んだそうだ。依頼内容は、ショッピングセンターで自転車がなくなったことについて。現場は最寄り駅から歩いて一時間かかるのに、仮に盗まれたのだとしたら、犯人は一体どうしてそんなことをしたのだろうか。依頼人が求めるのは、ハウダニットとホワイダニット、二つの「どうして」の答えであって、自転車の行方でも、犯人探しでもなかった。

どうにか無事に解決した直後、物語はファンタジーの色合いが一気に濃くなっていく。世界はこれまでの「こちらの世界」のほかに「ふしぎな国」のある「あちらの世界」が存在すると判明し、当人ですら知らないママエの正体が明らかになる。さらに、「白雪姫」でいえば継母のような存在であるダイナが登場し、「あちらの世界」における王位継承問題が水面下で起きていることが判明する。CASEⅢ「毒と白雪姫」は、ライバル探偵たちとの推理合戦だ。殺害予告が届いたという富豪の依頼人の邸宅に、三人の探偵たちが集められた矢先、毒入りピザ事件が発生する。誰がどうやって毒を投入したのか。鏡があるからライバルたちよりも多く情報を摑んでいるママエは、果たして犯人を告発できるのだろうか。

第二部「リンゴをどうぞ」の第一幕「私が殺したい少女」では、ダイナが「あちらの世界」からママエたちのいる「こちらの世界」に鏡を持ってやってくる。彼女の向かった先は、三途川理の事務所。依頼内容は、ママエの暗殺だ。三途川はダイナの持ち込んだ鏡を使ってママエのことを徹底的に調べ上げていく。その鏡そのものをめぐる騒動が起き、ママエに最大の窮地が訪れたまま、第二幕「完全犯罪」が幕を開ける。

誰もが知っている童話「白雪姫」のガジェットと本格ミステリの相性がここまでいいとは、森川自身も想定外だったのではなかろうか。空想的、幻想的な架空世界において物語が展開されるファンタジーミステリというよりも、なぞなぞと同様の文学的構造を持って解釈の方向を道徳的な訓話に向ける特性を持つ「寓話ミステリ」に分類できる。危なっかしい探偵を助手が支える構図と寓話的要素は、北山猛邦『踊るジョーカー』などの「名探偵音野順の事件簿シリーズ」を想起させられる。北山作品は不可能トリックを解き明かす趣向であるが、『スノーホワイト』がもっともこだわっているのは論理的推理だ。ゆえに事件性はあっても、血みどろの惨劇などの派手な演出はなく、真相もさほど難しくはない。ならば単なる寓話を描いているだけだと捉えられるかもしれないが、本書は難解な「推理の糸」をあらゆる形で表す。いわば、推理そのものに対する知識と見解を高度な技術で物語世界に落とし込んだ作品なのである。

ママエの推理法は、真相から謎に戻る逆説手段だ。謎の呪文は、彼女の決め台詞である。

「ドドソベリイドドソベリイ!

鏡や鏡!

真相を教えてちょうだいな」

探偵は地道に調査をして事実を割り出す仕事であるはずだが、ママエは間をすっ飛ばして鏡に答えを聞いてしまうのだ。推理が嫌いな性格なのだから仕方がない。そこは突っ込むところではないのだ。通常なら、これでめでたく業務は終了となり、報酬をもらえる。けれど、襟音探偵事務所を訪れる依頼人は、答えを知るだけでは満足できないのだ。占いやおみくじならば、たとえ外れたとしても、よほどのことがない限りクレームはつかない。なのに、探偵事務所という看板を掲げて商売を行う場合は、真相に至る過程も報告しないとならないのだ。答えは一つだけなのだから、一問一答でもいいはずなのに、依頼人も納得してくれない。それはなぜか。彼らが本当に求めているのは、納得のいく真実であり、意外な真相ではないからである。よって、受け取り側の意表を突けば突くほど、説得力が必要になってくる(推理の組み立てにはグランビーの手助けが欠かせない。これによって、探偵と助手の関係が必要十分条件であることも本書は示唆している)。

多くの本格ミステリ作品ならば、まず謎があって、手がかりを集めながら一本の筋道を立てて、解決に導いてゆく。その場合、帰納と分類される、特殊な事例から普遍的な法則を見出そうとする論理的推論の方法が用いられやすい。だが、帰納法には、結論は必ずしも真であることは保証されないという弱点が残る。それに抗うかのように、『スノーホワイト』は、前提が真であれば、結論も必然的に真であるという演繹的な推理法で勝負をかけてきた。結論すなわち真相からさかのぼり、謎という前提までのプロセスを証明する。本書は正解から逆をたどることによって、真の推理、真の解決を導き出す。完全犯罪ならぬ、完全推理と呼べるだろう。

真実を映す鏡とよく似た存在は、大学サークルの先輩にあたる麻耶雄嵩『神様ゲーム』にも登場する。この作品は、「──かつて子どもだったあなたと少年少女のための」というキャッチフレーズの叢書・講談社ミステリーランドから、二〇〇五年に刊行された。「すべてを知っている」のは物体ではなく、「神様」を自称する小学生の男の子だ。主人公のクラスに転校してきてすぐに、町で起きている猫殺しの犯人を言い当て、さらに「神様」の予言通りに殺人事件が発生する。子ども向けとは思えない残忍な展開と、ラストの衝撃が話題を集めた作品だ。

真相を先に手に入れられる経緯は『スノーホワイト』と同様であるが、「神様」の告げる「真実」が疑われないという点が徹底的に異なる。たとえ予言どおりに事件が起き、「神様」が真相を語ったとしても、たまたま目撃したとか、当てずっぽうにすぎないとか、「神様」自身が事件を起こして予言したように見せたとか、結論そのものに疑問を抱く者がいてもおかしくはない。「神様」の信憑性もないのだから前提が偽である可能性は高く、そうなると真相も偽となる。だが、主人公を非現実的な事象を素直に受け入れやすい年齢にしたせいか、前提そのものに対する真偽は言及されない。

そもそも『神様ゲーム』の主題は、論理的推理というよりも、絶対的な「真実」に対する解釈のズレであった。そのため、主人公が目撃した最終的に明らかになる「天罰」に対する解説は明示されない。ここを確信犯的にあえて作中で説明しなかったからこそ、登場人物も含む誰しもに衝撃を与えることができた。一見ホラー的な「オチ」とも受け取れるが、「なぜこうなったのか」と仮説を立て、冒頭から総ざらいしていくと真実を示唆する可能性に行き当たる。つまり、「見えない人物」に匹敵する「見えない論理的筋道」が隠されているのだ。しかし、ネット上では手法に納得できない読者も見かけた。

その『神様ゲーム』から約八年後。過去作に呼応し、「提示された真実」に対する「絶対的な論理的推理」を物語の設定も根拠に入れて再構築することで、森川は、論理的推理の持つ弱点を補強した。「魔法の鏡」は「未来を映すことができない」という縛りを加えたのだ。例えば、『神様ゲーム』のように「三十六歳のときに飛行機事故で亡くなる」と未来を予言されたら、大多数の人ならば、その年に飛行機を避けるように行動し、予言が偽となるように未来を変えようと動くだろう。真の場合でも、自分が命を落としているから、確認ができない。つまり、「何でも知っている」という能力に未来が含まれると、それが真だと証明することができなくなるのだ。『スノーホワイト』のような真実から論理的に証明を組み立てていく類の順番が逆転した推理法では、真実が偽である可能性を先に消しておかないと、推理自体が成り立たなくなってしまう。この問題を生じさせないために魔法の鏡は用意されたといえよう。

だが、魔法の鏡の存在を隠しているなら、簡単に商売を行えるメリットと同じくらいのリスクも所有者は抱えている。真実を知っているということは、犯人あるいは共犯者であると誤解される可能性も高くなるのだ。

CASEⅢだとリアルタイムで事件が起きるため、ママエは他の探偵たちに疑われる立場になるのは容易に想像がつく。しかし、CASEⅡでは、依頼人のことを何も知らず、謎の発生した現場に居合わせてもいない。よって魔法の鏡を隠すために、「目撃したから」などの虚偽の自白をするという最悪の逃げ道ですら封じられてしまう。依頼人は意地悪をしたのではなく、単純に言い忘れていただけなのだが、たまたまそれがママエの知るはずもない事実であったため、かえって不信感を与えてしまう。

ピンチを切り抜けた手段は、語られていない事実を推理で導き出し、それを披露することだった。うまく鏡に質問をすれば、どのように説明すればいいかを教えてくれる。ただし、この場合は仮説を立ててシミュレーションを重ねていくしかない。その中から、一番説得力のある「論理の糸」を見つける作業が必要になる。すでに「知っている」ことを「知らなかった」振りをして、筋道を組み立てることは相当難しい。おそらく、レッド・ヘリングを仕掛けるほうが簡単だろう。「推理が嫌い」であっても、手がかりを集めて推理して真相にたどり着く通常のパターンのほうがずっと精神的にも楽である。

この苦悩は、倒叙ものと類似する。CASEⅡは、依頼人のほうが逆に、探偵を追い詰めてゆく。真相から逆に推理を組み立てる手法と同時に、依頼人が探偵役となり、探偵が犯人という逆転劇を読むこともできる。特殊な世界設定以上に、小さなエピソードではありながらも構図の逆転も忍ばせている点が本書が稀け有うな作品であるということの具体例として分析できる。寓話ならば何らかの道徳的概念も作中に含まれるが、本書の場合は「噓は良くない」あるいは「ズルはいけない」だろう。教訓を押し付けるのではなく、ユーモアとして描く。論理的推理を極めた結果、このような構図も起こりうると想定して、森川は物語に埋め込んだと考えられるが、二作目ながらにして高度な発想を持っていることが十分にうかがえる。単なるファンタジー設定ではないのである。

ところで、この魔法の鏡は、何かに似ていないだろうか。それは、必要なキーワードを入れればほしい答えが出てくる、インターネットの検索エンジンだ。未来の予測ができないことも共通している。検索結果では詳細な個人情報までは分からないが、フェイスブックなどの個人情報を登録して利用するSNSだと、ユーザーの本名、出身地、誕生日、出身校、現在の職業なども公開内容によっては分かってしまう。CASEⅠの依頼人のような職業のはっきりした人物ならば、検索をかければすぐに出てくるだろう。

また、『スノーホワイト』が書かれていた頃よりも、現在では、防犯カメラも発達してきた。グーグルマップのストリートビューも、かなり広がっている。「ドドソベリイドドソベリイ!」の代わりに、iPhoneユーザーなら「ヘイ、Siri!」とスマートフォンに話しかければ質問について人工音声が答えてくれる。そのうち、場所を問えば特定位置の画像も出るようになるだろう。もう少し未来になったら、特定時間の画像や動画も表示できるようになるかもしれない。まさに現在、ほとんどの個人が魔法の鏡を所有しているといえるのだ。まだ法的には認められていないが、通信技術を使いこなすことができ、探偵業を行っている中学生も見えないところではいるのかもしれない。技術が発展すると、本書の世界観も日常からズレた世界ではなくなってくるだろう。

かつては、インターネットが発達すると、論理的思考ができなくなる人が増えるという説も噂話として耳にしたことがある。まだそういった世界にはなっていないが、小さな謎を反射神経で解き明かし、世界観をひっくり返す類の脱出ゲームが大ブームとなっている事例を参考にすると、手がかりを集めて一本の筋道を作り上げ、真相を導き出すといった本格ミステリの論理的推理そのものが、ファンタジーとして扱われるようになるかもしれない。謎、推理、真相という本格ミステリの三段構造は、ますます現実から離れ、完全にファンタジーとして求められる時代はすぐそこまで来ているのだろう。

そうなったとき、「優れた」本格の基準はどのように変わっているのだろうか。歴史が一周して、オーソドックスでいわゆる古典的と呼ばれる本格ミステリ作品が選出される予感がしている。

デビューまもなく本格ミステリ大賞を受賞というプレッシャーから解き放たれたように、森川は、本来の主要キャラクターでありシャーロック・ホームズへのオマージュと感じさせられる「三途川理シリーズ」、AI探偵が活躍する『半導体探偵マキナの未定義な冒険』、夢と現実の交差する『レミニという夢』、殺しても生き返るナイフが登場する『そのナイフでは殺せない』など、続々と特殊状況下における本格ミステリ作品を発表している。謎解きとはこういうものではないかという自己探求は、倫理観にもシフトしてきている。彼の生み出すキャラクターは、少しずる賢くてストレートな性格が妙に生々しい。安定して高水準でいる作風が、時代の発達とともに想像もつかない方向へ飛躍していくような気配を感じさせている。ワンダーランド化してきている世の中が、どこに向かうのか、見届けていきたい。

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